米国時間2012年4月20日、米大リーグ最古の球場として知られるボストンのフェンウェイ・パーク開場100周年記念試合で、レッドソックスとヤンキースが100年前のデザインを再現した背番号のないユニホームで試合を行った。
日本では21日早朝のテレビ中継で見ることができた。100年前の古きよき時代の大リーグの雰囲気がよみがえる。レッドソックスのボビー・バレンタイン監督(61)をはじめ、指名打者のデビット・オルティーズ選手(36)、ヤンキースのアレックス・ロドリゲス内野手(36)、マリアノ・リベラ投手(42)など両チームとも有名な選手が多く、顔やプレーの姿を見れば誰かは分かったが、やはり普段見慣れた背番号がないのはもの足りなかった。
日本人の田沢純一投手(25)が登板したときは、背番号のないユニホームだと何か練習試合の高校生が迷い込んだみたいだった。100年前は大リーグは白人選手ばかりだったから、アフリカ系やヒスパニック系の選手が背番号なしのユニホームを着て登場することもなかっただろう。
しかしこの背番号のないユニホームには、改めて歴史の重さを感じずにはいられない。
球団ホームページredsox.comを見ながら1912年を振り返ってみよう。記念すべき100年前の1912年4月20日のレッドソックス対ニューヨーク・ハイランダース(ヤンキースの前身)は延長11回、7-6でレッドソックスのサヨナラ勝ちだった。本当なら地元新聞の1面を飾る大きな話題だが、新聞の1面は4月15日のタイタニック号沈没のニュースで埋め尽くされていたという。
大リーグで背番号が導入されたのは世界恐慌があった1929年。最初の背番号は打順でつけていた。だからヤンキースの3番打者だったベーブ・ルース(1948年53歳で死去)は背番号3、4番打者のルー・ゲーリッグ(1941年37歳で死去)は背番号4だった。
大リーグの歴史は1876年から始まるから、実は50年以上も背番号のないユニホームで野球が行われていたことになる。
背番号のなかったころ、観客は球場で選手ごとの番号入りメンバー表つきのスコアカードを買い、スコアボードに表示される番号を見て、試合に出場している選手を見分けていた。
今でも大リーグの球場に行くと、たくさんの人がスコアをつけながら観戦しているのは、その名残かもしれない。
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1年前の2011年を思い出す。東日本大震災発生の影響でプロ野球はほぼ3週間遅れの4月12日にセ・パ同時開幕した。経営側のオーナーは被災地支援よりも球団の利益を優先して日程通りの開幕を強行しようとしたが、選手会は被災地への配慮を主張して延期とセ・パ同時開幕を主張して譲らなかった。
「見せましょう、野球の底力を」
4月2日の復興支援試合での楽天・嶋基宏捕手(27)の言葉は野球界の結束宣言だった。震災からの復興に向けて12球団がひとつになった、あのときの決意と覚悟を忘れてはいけない。
プロ野球がようやくひとつになったと思ったら、1年後の2012年はそれに水を差すような不愉快な問題が発覚した。巨人が阿部慎之助捕手(33)に10億円、野間口貴彦投手(28)に7億円など、過去に6選手に36億円もの契約金を払っていたこと明らかになった。申し合わせの上限は1人1億5000万円だから、6人で27億円もの大金がルールを無視して新人選手獲得に使われていたことになる。巨人は、どこまで自分勝手なことをして球界の秩序と結束を乱したら気が済むのか。
申し合わせを無視して札束で選手を根こそぎさらったにもかかわらず「申し合わせは拘束力のない緩やかな目安」「だからルール違反ではない」と無理な弁明を繰り返して居直っているのはあまりにも見苦しい。
清武英利・前球団代表(61)の騒動にこの高額契約金問題が重なり、巨人はダーティーなイメージばかりが目立つようになった。
27億円もの大金を陰でこそこそ使えるくらい余裕があるなら、その分を少しくらい被災地への義援金に回したらどうなんだ。悪いイメージを振り払うには、それくらいのことをしないとファンは納得しない。
2012年4月6~8日に兵庫県三木市の花屋敷ゴルフ倶楽部よかわコースで行われた女子プロゴルフ「スタジオアリス女子オープン」を取材した。
「歩き方を変えたら、ゴルフもよくなった」
韓国の申ジエ(23)がインタビューで話したひとことが印象に残った。
日米の女子ツアーで活躍し、2009年には米国の賞金女王にもなった世界のトップ選手だが、2011年は日本でも米国でも優勝はなく、地味な1年に終わった。視力矯正手術をしてトレードマークの眼鏡を外し、イメージチェンジをしたのに肝心のゴルフの結果がついてこない。
原因をさぐろうと自分のプレーのビデオを見直して気がついたのが「歩き方」だった。
「なんて重く歩いているんだと思いました。腰を痛めたこともあってゴルフがうまくいかないから、ネガティブ(消極的)なことばかり考えながら歩く。だから足取りが重いし、とても暗い。これでは勝てないのは当然ですよね」
だから2012年は歩き方を意識して「軽くした」という。
「スタスタ、ね」
片言の日本語で言いながら笑顔を見せた。
精神面の要素がスコアにも大きく影響するのがゴルフというスポーツ。ミスショットをひきずっていたら、どんどん大たたきの悪循環にはまっていくのは、誰でも経験がある。
ミスしたあとは「気持ちの切り替え」が大事だが、そう簡単にできるものでもない。だからといって下ばかり向いていたら気分も落ち込む一方。うそでも顔を上げて少し速い足取りで歩けば気分も晴れるし、元気になれる。これなら高度な技術も練習も必要ないし、だれでもすぐできる。しかも効果は抜群。
国内プロが攻略に苦しんだ難コースを「元気歩き」の申ジエは苦もなく攻略していった。
ゴルフに限らず、ほかのスポーツや普段の生活、仕事にもこの「歩き方改造」は大いに活用できる。
歩く姿勢つまり見ためがポジティブ(積極的)になると、気持ちもポジティブになる。気持ちがポジティブになれば行動つまりプレーもポジティブになる。この相乗効果は大きい。
ミスをしても顔を上げて、元気よく歩こう。
言葉は難しい。大リーグで波紋を広げたレンジャーズのダルビッシュ有投手(25)の強気(と翻訳された)発言。日本語の微妙な語感が、英語に置き換えてもうまく伝わらなかったようだ。
3月7日(日本時間8日)のパドレスとのオープン戦。ウィル・ベナブル内野手(29)に浴びた特大二塁打は中堅後方のバックスクリーンを直撃し、本塁打と判定されてもおかしくないほどの打球だった。飛距離も十分あった。バックスクリーンも外野フェンスの一部と審判が解釈したため本塁打と認められなかっただけ。
ダルビッシュは会見で「乾燥や風もあるので普通よりは伸びているとは思った。でもそんなにとらえられたという感じはしなかった」と説明した。
通訳の英文は「With the dry air in Arizona and the wind blowing out, it carried the ball.It didn’t seem like a ball that was hit that squarely」。問題になったのは後半の部分。「squarely」はスポーツではボクシングでよく使われる表現でスクエア(平行)つまり肩を相手に平行にして真正面から向き合うという強い語感があり「ガチンコ勝負で負けたという感じはない」というふうに受け取られたようだ。明らかに本塁打性の一発を打たれたにもかかわらず、こういった反発を受けやすい言葉を使ったのが、対戦相手や米国のメディア、ファンを必要以上に刺激してしまった。
まるで意図して投げたわけではないのに投球が打者の頭の近くを通り、危険球で退場を命じられたようなもの。不運だったとしかいいようがない。
ベナブルがカチンときて「I would have liked to hear a little more humility from the guy」(アイツからはもう少し謙虚な言葉を聞きたかった)というのも仕方のないところか。
そのあとのラジオ番組でもベナブルは、このsqueareを使い「Of course I didn’t square up a ball because he’s Yu Darvish」(もちろん、オレはボールをとらえられなかった。だって彼はダルビッシュ有なんだから)と嫌みたっぷりだった。
「square up」(決着をつける)の「square」にも相手と正々堂々向き合って一歩も下がらない、という響きがある。
ダルビッシュにその気はまったくなかったが、結果的にルーキー投手が大リーガーのプライドを傷つけた。日本人投手がすべてダルビッシュと同じだと思われる前に、一度両者がきちんと話し合い、互いの気持ちの行き違いを修正できればいいと思う。
セ・リーグが2012年シーズンから先発投手を事前に告知する「予告先発」を導入することを決めた。パ・リーグが1994年に公式戦全試合の「予告先発」を導入したときには、賛否の議論はあまり起こらなかったのに、セ・リーグの導入では現場の選手、首脳陣、球団営業サイド、さらにはファンや評論家と多くの人がさまざまな立場から発言し、大騒ぎになった。
「先発投手を推理する楽しみがなくなる」
反対の声で一番大きかったのがこれ。確かに正論だが、だからといって先発投手を推理する楽しみがなくなったらもう野球は見ないのだろうか。そんなファンはいないはずだ。
実際、先発投手を推理する楽しみもそんなに多くない。年間144試合のうち、意表をついた先発投手起用はどのチームでも10試合ていど。ほとんどの試合はローテーション通りに先発投手が起用されている。
「予告」しなくても、ローテーションを守った「予想通り」先発の試合の方が圧倒的。「予告先発」になって野球への興味が失われることはないだろ。
逆に先発投手が予告されることで試合観戦の計画も立てやすくなり、ファンとしてはありがたい。2011年9月10日に実現した楽天・田中将大投手(23)と日本ハム・斎藤佑樹投手(23)の「甲子園決勝引き分け再試合の再現」対決が盛り上がったのも「予告先発」のおかげだった。
現場の選手や首脳陣としては、試合が始まる前に手の内を開かすことになるのは困るかもしれないが、そこはファンあってのプロ野球。庶民の娯楽とはいいながら相当高い入場料を払うのだから、ファンにとっては誰がその日の試合に出るかをあらかじめ告知してもらうのは当然のサービスだともいえる。
2012年から大リーグに挑戦するレンジャーズのダルビッシュ有投手(25)がツィッターでこんなことをつぶやいていた。
「予告先発でセ・リーグの野球もレベルアップする」
対戦相手の先発投手が予告されていることで打者は対策を立てやすくなる。球筋や配を徹底的に研究して攻略に全力を挙げる。先発投手の方も黙って手をこまねいているわけではない。研究してくる相手打者を抑えるため、さらに一段高いレベルで投球を磨くようになる。そうやって投手も打者も互いに競いながらレベルが上がっていく、という論法だ。
高い投球技術と力を持つダルビッシュだからこそいえる言葉だともいえるが、考えてみれば2011年までのパ・リーグはダルビッシュを筆頭に楽天・田中、ソフトバンク・杉内俊哉投手(2012年から巨人、31歳)、和田毅投手(2012年からオリオールズ、31歳)、西武・涌井秀章投手(25)と、どのチームにも日本を代表する好投手がいた。対戦する打者陣にも一層高いレベルの攻略法が要求される。
パ・リーグの野球のレベルが年々高くなっているのもそう考えると納得がいく。交流戦は2010年パ81勝・セ59勝(4分け)、2011年パ78勝・セ57勝(9分け)とセ・パの力の差はかなり開いている。「予告先発」導入でセの野球はパに追いつくか。
その穴を埋めるのに何年かかっているのだろう。阪神は外野守備の要となる中堅手が固定できないまま2012年の開幕を迎えることになりそうだ。
赤星憲広さん(35)が2009年限りで引退したあと、中堅でシーズン通じて常時出場できる選手は不在のまま。2011年終盤、正位置をつかみかけた柴田講平外野手(25)は2012年キャンプは故障で出遅れ、期待が大きかった俊介外野手(24)は今ひとつぱっとしない。3年目の田上健一外野手(24)、新人の伊藤隼太外野手(22)といった若い選手も決め手を欠いていることもあって、ベテランの域に入った浅井良外野手(32)、さらに打撃がよくなった大和内野手(24)も中堅で起用される可能性が出てきた。
中堅手と二遊間、捕手を縦に結んだ直線は「守備のセンターライン」と呼ばれる。この守備陣形の「軸」がしっかり固定しているチームは強い。中堅手の固定はV奪回の大きなポイントだ。
試行錯誤を繰り返している阪神の中堅手争いに一番やきもきしているのは当の赤星さんかもしれない。
赤星さんは新刊「一瞬の判断力・ピンチをチャンスに変える53の法則」(宝島社2012年)にこんなことを書いていた。
外野守備ではなく盗塁に関する項だが『「ポスト赤星」を狙えそうな俊足の選手が四人いる。柴田、俊介、大和、上本博紀内野手(25)の四人だ。
だが、僕から見れば、この四人の中で誰が一番多く盗塁を狙えるかというと、もう一目瞭然、上本なのだ。四人がもし同じ走塁練習をしてこの競争に挑めば、その次に大和がきて、後れをとるのは、柴田と、俊介だと思う。
柴田と俊介に関しては、考え方を変えないといけないように感じる。
柴田と俊介は、リードしたときに、いろんなことを考えてしまっている部分をすごく感じる。下半身に力を入れるとか入れないとか、まずそんなことを塁上で考えている時点でダメだ。余計なことを考えることによって筋肉は動きが遅れたり、リラックスできなかったりする』
赤星さんは2000年秋のドラフト会議で阪神から4位指名を受け、プロの世界に飛び込んだ。
『菊地さん(赤星さんの入団交渉を担当した菊地敏幸スカウト)は、「レフトとライトに関しては、代わりはいくらでもおる。困ったら外国人を連れてくればええんや。でもセンターはそうはいかん。新庄がいなくなったら、お前十分にチャンスあるんや。がんばれ」とハッパをかけられた』
赤星さんは入団会見で「大リーグへ行った新庄剛志さん(現在40歳)の穴は僕が埋めます」と宣言し、その通り中堅で大活躍した。
「今年こそ赤星さんの穴は僕が埋めます」
阪神ファンが最も期待しているこの言葉を高らかに言い放つのは誰か。
懐かしい顔を見つけた。現地時間2012年1月20日に行われた米大リーグ、レンジャーズのダルビッシュ有投手(25)の入団会見。通訳を務めたのは、環太平洋地区担当チームの古河有一さん(41)だった。
古河さんは2006年から4年間、広島でマーティ・ブラウン監督(現米マイナー監督、49歳)の専属通訳を務めた。着任直後の2005年オフにインタビューの企画でじっくり話を聞く機会があり、12月26日の産経新聞大阪本社発行夕刊に記事を掲載した。
神奈川県生まれ。6歳のときに両親とともに渡米。キャニオン高、カリフォルニア大バークリー校、アーバイン校を経て、1993年に内野手としてドラフト外で広島入団。96年に横浜に移籍した。7年間の通算成績は8試合、打率1割4分3厘、打点、本塁打ともになし。2000年から横浜で国際担当兼通訳を務めた。愛称はジョー。
「専属通訳の言葉には、監督の言葉と同じ重みが加わるので、責任重大ですよ」
ロッテのボビー・バレンタイン監督(2012年からレッドソックス監督、61歳)、日本ハムのトレイ・ヒルマン監督(現ドジャースコーチ、49歳)、2007年はオリックスもテリー・コリンズ監督(現メッツ監督、62歳)と日本球界が外国人監督ブームだったときで、監督と選手の意思疎通を橋渡しする監督専属通訳の存在も大きく注目されていた。そんな中で自身もプレー経験がある古河さんの野球を語る口調はことのほか熱かったことを思い出す。
2010年、ブラウン監督が楽天に移ったのを機に日本球界を離れレンジャーズのフロントへ。往年の大リーグの好投手でオリックスでコーチの経験もあるジム・コルボーン氏(66)が指揮する環太平洋担当チームに加わってスカウトとしても手腕を発揮し、建山義紀投手(36)や2008、2009年に広島で活躍したコルビー・ルイス投手(32)と立て続けに日本球界からの好投手獲得にも貢献してきた。
ESPN電子版は、古河さんがもともと大リーグ願望のなかったダルビッシュを2年前からぴったりマークし、獲得の糸口を探していたことに触れ「レンジャーズのフロントはダルビッシュ獲得はジョー古河を抜きには語れない、と口をそろえた」と紹介している。
古河さんはダルビッシュの通訳として大リーグでの生活に適応するのも手助けする。ところが、ダルビッシュは少しでも早く英語を覚えるため、あえてロッカーや練習では古河さんに頼らず、独力でコミュニケーションほとるつもりらしい。
そんなダルビッシュを古河さんは頼もしいという。
「通訳が不要ならそれに越したことはない。習うより慣れろです。自分でいろいろ経験することが言葉を覚える一番の近道。ダルビッシュはもうそのことに気づいているのだから、言葉の壁を乗り越えるのは時間の問題ですよ」(ESPN)
ダルビッシュが大リーグの投手としてスタートを切る注目のレンジャーズのバッテリー組のアリゾナキャンプは現地2月23日から。
阪神が5年ぶりにユニホームを一新した。2011年12月にミズノと締結した3年間のチームサプライ契約によるブランド戦略の第1弾で、注目度の高いプロ球団のユニホームをめぐるスポーツメーカー間の新たな争奪戦、という視点からとらえた新聞記事もあった。
プロ野球のユニホームは以前は、ほとんどのチームがデサント製だった。1968年に日本初のニット製ユニホームを採用した老舗で、1970年代後半には国内ではセ・パ11球団のユニホームがデサント製だった時代もある。
野球のユニホームはデサント-。学生時代には、スポーツ用品店のポスターや野球雑誌の広告でかなり強烈に刷り込まれた記憶がある。
その後はミズノが巻き返し、今はデサント製はロッテ、楽天、横浜(ホーム)、広島(ビジター)。ミズノ製は日本ハム、中日、オリックス、ソフトバンク、広島(ホーム)、ヤクルト(ビジター)そして阪神と、シェアは大きく変わった。
このほか2002年にナイキジャパンが西武とチームサプライ契約を結び、2005年にはアディダスジャパンが巨人のオフィシャルパートナーとなり、ユニホームやウエアを独占的に提供している。
プロ球団が採用しているユニホームなら、テレビや印刷媒体でも露出度が高く、宣伝効果は抜群のはずだが、長くトップを走っていたデサントは意外にもプロ球団とのユニホーム契約を縮小する方向にあるという。
『昨年まで阪神のユニホームを手がけてきたデサントの場合、ユニホームに自社ロゴを入れられないままの新たな契約内容に「投資に見合う効果が得られないと判断した」(業界関係者)との見方が強く、ミズノとのユニホーム争奪戦は「自ら降りた」とみられている』(2012年2月1日付産経新聞大阪本社発行版朝刊)
スポーツメーカー各社の思惑が見え隠れする新ユニホーム。2012年は中日と新球団のDeNAも新ユニホームを発表したが、経済効果やメーカー側の採算面まで話題が広がるのは、人気球団の阪神ならでは。
新ユニホームは写真を見ても、軽くて収縮性もありそうだし、まずデザインが格好いい。
ビジター用がロッテに似ているのは少し気になるが、力強さとシャープさは阪神歴代のユニホームでも上位だ。早くレプリカを着て応援してみたくなる。
それでも学生時代ずっとデサントのユニホームを着てプレーしていたからだろうか、デサントの撤退は少し寂しい気がした。
プロ野球にひとつの法則がある。
「内部昇格の監督は優勝する」
現役監督を見ても1軍野手総合コーチから昇格3年目の2011年に日本一に輝いたソフトバンクの秋山幸二監督(49)、ヘッドコーチから昇格1年目の2010年に日本シリーズを制したロッテの西村徳文監督(52)をはじめ、2008年日本一の西武・渡辺久信監督(46)も2軍監督から昇格した。巨人の原辰徳監督(53)はヘッドコーチから昇格した1年目の2002年に日本一になっている。
日本ハムの梨田昌孝前監督(58)も近鉄時代に2軍監督から昇格して2001年にリーグ優勝したし、オリックスの岡田彰布監督(54)は阪神で一軍内野守備走塁コーチから昇格し2005年にリーグ優勝した。
内部昇格の監督の成績がいい理由は2つ。
コーチとして前の年まで見てきたチームだから、選手個々の性格や特徴はよく知っている。試行錯誤の段階を省略して現有戦力の能力をすぐに引き出し、使いこなすことができる。選手起用に迷いがない。
もうひとつは間近に見ていた前任の監督を反面教師にできること。前監督の用兵ミスやチーム掌握の失敗を繰り返さなければ、それだけでチームはいい方向に向く。
外部から迎えられ、一から始める監督よりもはるかに前方のスタートラインから走り出すのだから、ペナントレースで有利なのは間違いない。
特に2軍の監督やコーチの経験者は選手の育成には時間がかかることを体験しているので、作戦や選手の使い方にも辛抱強さがある。2011年セ・リーグ2位だったヤクルトの小川淳司監督(54)が若い選手から慕われているのも、1999年から2007年まで9年間務めた長い2軍監督経験と無縁ではない。
2012年の新監督は中日・高木守道監督(70)、DeNA・中畑清監督(58)、日本ハム・栗山英樹監督(50)、阪神・和田豊監督(49)と4人いるが、内部昇格は和田監督(2011年まで1軍打撃コーチ)だけ。2005年以来のトラのセ・リーグ優勝が見えてきた?

速い球を打つのが練習だと思っていた。学生時代、誰もがマシンの球速を上げ、打撃投手を務める下級生には1歩も2歩も前から投げさせ、速い球に振り遅れないようがむしゃらにバットを振り続けた。
だから、プロ野球記者になって落合博満内野手(現在58歳)の試合前の練習を見たときは驚いた。打撃投手がふわりと投げた緩い球を落合は、軽いスイングで外野席にぽんぽんと放り込んでいた。練習というより、まるで球とバットで遊んでいた。しかししばらく見ていると、緩い球を打つ方が速い球よりはるかに難しいことに気づいた。
速い球はミートさえすれば、球速の反動で勝手に飛んでいってくれる。しかし緩い球は当てただけでは飛ばない。正しいスイングでしっかりバットを振り切らないと外野席には届かない。落合は一見何気ない練習で実はとてつもなくレベルの高い打撃術を磨いていた。1986年のことだった。
新刊「打撃投手・天才バッターの恋人と呼ばれた男たち」(澤宮優著、講談社2011年)を読みながら、そんな25年以上前のことを思い起こした。
「落合博満の恋人」の章に、ロッテ時代の落合の打撃投手を務めた立野清広さん(現在54歳)が紹介されている。あのとき投げていたのも立野さんだった。
《立野は言う。
「あの手首の強さは並じゃなかった」
打球は金属のような鋭い音が響いた。しかも緩い球をスタンドに軽々と運ぶ。速い球だと、一、二、三のタイミングで弾き返すことができるが、緩い球ではそれができない。打つ形と手首が強くないと遠くに飛ばすことはできない。落合は緩い球が来る間に、ゆっくりと力を貯めて完璧なフォームでボールを打った。バットコントロールもしやすい。速い球は、そこまで作る間が持てない。彼が緩い球を選んだ理由がそこにあった。
そして立野に毎日今日はどこがよかったか、悪かったか聞いた。彼が尋ねるポイントは肩、腰、膝、体の開きである。
「振りが鈍かったり、バットやグリップが下がったりします。でもオチさんは極端なスランプはなかったです。とにかくフォームをチェックする人でしたから」》
打者のことは打撃投手に聞け、はプロ野球取材の鉄則だ。中日時代の落合の打撃投手だった渡部司さん(現在61歳)、「イチロー外野手(38)の恋人」だった奥村幸治さん(現在39歳)。本には、取材をしたことのある打撃投手も何人も登場していて、読んでいると、練習中の「カーン」「カーン」という打球音が耳によみがえってくるような気がした。
「打撃投手は天職」と言い切ったのは巨人の白井正勝さん(45)。1994年パ・リーグ新人王だったソフトバンクの渡辺秀和さん(40)は「誰でもできる職業じゃないんだぞという自負はある」という。打撃投手たちも野球観はひとりひとりすべて違う。
しかし本を読んで見えてきたのは、現役選手以上に深い野球への愛情という共通点だった。裏方に徹し、寒い日も暑い日も黙々と投げ続ける。野球が心底好きでないとできない大変な仕事だ。
華やかなプロ野球を支えるすばらしき縁の下の力持ち。打撃投手の隠れた人間ドラマをていねいに掘り起こしたところが、この著書の最大の功績だと思う。


by sam1970
背番号のないユニホームに歴史…